演奏会をやる意味、合唱を続ける意味って何だろう
って時々考えてしまいます。
音楽を楽しみたいっていうのはもちろんあるんですが、
そこにはいろんな想いが詰まっているから、というのが
もうひとつの大きな意味だと思っています。
一年間練習を積み重ねてきたのに、ちょうど演奏会の日に用事が入って、
乗れなくなった人もいます。
練習に来たいのに、家庭の事情や仕事の都合で何ヶ月も来れなくて、
演奏会を諦めた人もいます。
札幌を離れてしまったけど、ずっと、応援してくれている人もいます。
そして、なによりも、
一年間苦楽をともに練習を積み重ねてきた仲間がいます。
その中には、一緒に演奏会のステージに乗るのは今回が
最後になってしまう人もいるでしょう。
いや、一緒に歌うことすら最後になる人もいるかもしれません。
そういうみんなの気持ちを、その日ステージ乗る一人一人が、
感じながらやる演奏会って、やはり他の行事とは重みが違うな、
と、感じます。
札幌を離れて何年も経った人が、たまに遊びに来ると、
こちらが考えている以上に札混のことを大事に思っている、
と感じることがあります。
誰も知らない人ばっかだったらどうしよう、でもいとーさんの
姿みてほっとした。と、言われたこともあります。
少しは人と人のつながりの役に立っているのかな?
面倒なことや、辛いことがあってもなんだかんだ言って続けているのは、
そんなこともひとつにはあるのかもしれません。